大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所八王子支部 昭和43年(わ)366号 判決 1969年2月28日

被告人 甲野太郎

昭二四・三・一生 工員

主文

被告人を死刑に処する。

理由

(罪となるべき事実)

一  被告人の経歴

被告人は茨城県東茨城郡城北町において、当時製炭業を営んでいた父義雄、母ゆき子の三男に生まれ、昭和二七年ごろ父の転職により家族ともども上京し、東京都品川区立源氏前小学校を経て昭和三六年四月同区立荏原第四中学校に入学したが、翌三七年一一月ごろ家族の転居にともなつて神奈川県川崎市立稲田中学校に転入学したものの、同校に荏原第四中学校当時の非行内容が連絡されこれが生徒間にも知れわたつたため勉学の意欲を失い、約一週間通学したのみであとは欠席をつづけ、そのうえ数回にわたる恐喝の非行を重ねたあげく、翌三八年三月ごろ教護院国府津実修学校に入所させられ、翌三九年五月同校を卒業(卒業資格は稲田中学校から得た。)退所した。その間、小学校四年時に肋膜炎で二月間欠席したほかはこれといつた病気もしないで通学をつづけたが、運動能力には優れていたものの、学業成績は悪く、生活が苦しく母ゆき子が病弱でその監督が行き届かなかつたことも加わり、短気で乱暴な言動がめだつたうえ、小学校六年時には消防自動車がくるのを面白がつて一〇数ヶ所のゴミ箱に放火してまわり警察で説諭されたことがあるほか、中学校二年時ごろから誘われて校内不良グループの番長格となり、次第にけんか、窃盗、恐喝などの問題行動を示すようになり、前記のように転校した稲田中学校に通学せず徒遊しているうち数回にわたる恐喝の非行を犯したあげく、前示のように教護院国府津実修学校に収容されるにいたつた。しかし、右実修学校では寮母などの面前で自己の性器を露出して自慰行為をするなどの問題行動があつたほかは、盆栽を好むなどほぼ安定した生活を送つた。そして、同校を卒業し、父義雄に引きとられて帰宅したのち、自動車修理工、塗装工などの仕事を転々としたうえ、昭和四一年一二月ごろから父の勤務先である小松精機製作所に仕上工として勤めたが、昭和四三年一月以降父や次兄征司とともにその子会社である品川区西五反田六丁目一八番一二号所在の有限会社三喜合金鋳造所に仕上工兼運転手として勤務し、職場では無断欠勤することはままあつたものの、その仕事振りはおおむね熱心で意欲的に働らくことが多かつたが、対人関係において適応性を欠くきらいがあつたうえ、その自己中心的で爆発的な性格も強まり、ささいなことから粗暴な言動に出ることも多く、昭和四一年六月ごろ六件の窃盗、手製匕首所持の罪を犯し、家庭裁判所で保護観察処分に、また昭和四二年一月ごろ窃盗、同年一二月ごろ傷害の罪を犯し、ふたたび保護観察処分に付された。しかし、保護観察開始後の経過は、右のような再非行があつたとはいえ、交友関係にもこれといつた問題はなく、正業につき勤務態度もよく、保護司との接触も良好であつた。

二  本件各犯行にいたるまでの経過

被告人は荏原第四中学校一年時に、たまたま同級生となつた岡田早苗(昭和二三年一一月二〇日生)と知り合い、次第に同女に好意を寄せるようになり、得意な鉄棒競技の上達をはかるなどして同女の歓心を買おうとつとめたこともあつたものの、同校在学中は格別のこともなく経過したが、中学卒業後被告人の姉米子が早苗と親しく、同女が被告人宅に米子を訪ねてくることも多かつたため、ふたたび同女に対する思慕をつのらせ、ついに昭和三九年夏ごろから交際をはじめ、昭和四一年三月ごろはじめて箱根に遠出して遊んでから急速にその交際は深まり、同年九月一五日には被告人から同女に対し婚約指輪を贈つて互に成年に達し次第結婚する旨の約束をとりかわしたうえ、その後も交際をつづけ、同年一一月ごろ川崎市内の旅館ではじめて同女と肉体関係をもち、以来殆んど毎週出会つてそのたびに旅館などで情交をつづけ、同女に対する恋情をますます深め、同女との結婚生活を夢みて仕事にもいよいよ精を出すようになつた。ところで、被告人は前記のように昭和四二年一二月すえごろ傷害の疑いで逮捕され、ひきつづき横浜少年鑑別所に収容され、翌四三年一月一七日に出所したが、被告人が留守したことをいぶかつた早苗に対し、この事実を秘匿し、埼玉に仕事で出張していた旨偽つて弁解したことから、右事実を知つた同女の感情をそこねるにいたり、同月二八日ごろ同女と出会つたものの、互にその感情を融和させることができず、けんか別れをする有様となつた。そして、翌二月八日ごろにいたり、被告人の将来に希望を失い、別れることを決意した早苗から今後絶交する旨の手紙を受け取る仕儀となり、いつたんはその手紙を友人を介して同女に返したものの、同月一九日ごろ、同女から直接別れ話を持ち出されたうえ、前記婚約指輪まで返戻されたため、同女との仲も最早これまでとあきらめ、それ以後同女との連絡を断つに至つた。しかしながら、被告人はなおも右早苗に対する未練を捨てきれず、同女から絶交された淋しさを抑えることができず、仕事から帰宅したのちは毎晩のように外出し、夜おそくまで喫茶店などに入りびたり、また連日のように近隣の内田理容所に遊びに赴き、同店で理容師見習をしている女子店員二人にあいついで交際を求める手紙を手渡すなどしたものの、同女らからいずれも相手にして貰えなかつたため、ますますその淋しさをつのらせ、そのうつうつたる気持を晴らすため深夜自動車を運転してあちこちとドライブしてまわることも多くなつた。

三  本件各犯行

被告人は、

(一)  昭和四三年三月八日夜、所用のため赴いた八王子市内の義兄荒巻三男方から自家用普通乗用自動車(静五せ第一、三五一号)を運転して帰宅する途中、同日午後一〇時三〇分ごろ、神奈川県川崎市菅四、五五五番地先付近路上にさしかかつた際、たまたまその前方から接骨院看護婦宇津木偉子(当二〇年)が歩いてくるのを認めたが、同女が別れた早苗の姿格好に似ているように思われ、にわかに自車を同女に接触させて驚ろかせ、同女と別れたことのうつ憤を晴らそうと考えるにいたり、いつたん同女の横を通り過ぎたうえ、自車を反転させて時速約四〇キロメートルで同女を追いかけ、道路右側を通行していた同女の後方からそのままの速度で自車前部をその腰部付近に接触させて同女を路上に転倒させ、よつて同女に対し加療約二四日間を要する頭頂部、臀部挫傷、脳震盪、右足挫創の傷害を負わせ、

(二)  同年三月一七日午後一時五〇分ごろ、東京都目黒区下目黒三丁目一九番一一号会社員杉浦広二(当四三年)方居宅階下四畳半の間において、同人所有の現金約三〇〇円、腕時計一個、携帯用置時計一個、トランジスターラジオ一台ならびに同人の管理する高木久子所有のメモ帳二冊を窃取したが、右犯行が発覚されるのを虞れ、自分の残した指紋などの証拠を湮滅するため、同宅に放火してこれを焼き払おうと決意し、同日午後二時二〇分ごろ、まず同宅二階六畳の間の洋服ダンスの前に、その付近にあつた新聞紙五・六枚をまるめ、そのうえに同タンス内から引張り出した背広数枚を重ねたうえ、同所に置いてあつたマツチで右新聞紙に点火して火を放ち、ついで階下四畳半の間の整理ダンス前に、その付近にあつた新聞紙五・六枚をまるめ、そのうえに同タンス内から引張り出した衣類数枚を重ねたうえ前記マツチで右新聞紙に点火して火を放ち、いずれも右衣類などに燃え移らせ、その結果杉浦広二およびその家族が現に居住する木造モルタル外壁瓦葺二階建一棟(延面積四五・三一平方メートル)の内壁、畳、建具、家財道具などを全部燃焼炭火させてこれを焼毀し、

(三)  同年三月二六日夜、勤務先から帰宅し夕食をすませたのち南武線宿河原駅近くの喫茶店や前記内田理容所で雑談などして時間をすごしたあと、勤務先の普通貨物自動車(マツダプロシート横浜四ぬ二〇―〇八号)をひとりで運転してドライブに出かけたが、途中歩行中の若い女性の姿を求めて運転をつづけ、神奈川県川崎市登戸二、五〇一番地先付近路上でおりからその前方を歩行中の若い女性の腕を車窓から叩いて走り去るなどしたうえ、同日午後一一時すぎごろ、同市登戸新町三六八番地先付近路上にさしかかつた際、その前方を歩行している会社員栗原繁子(当二一年)の後姿を認めるや、自車を同女に接触させて驚ろかせ、前記のように早苗から絶交されたうつ憤を晴らそうと考えるにいたり、同女が人通りの少ない道路に出るのを待つため、前照灯を消し、速度をおとして同女の尾行をつづけ、同一一時四〇分ごろ、同女が同町一三七番地先付近路上にさしかかつたところ、その前後に人通りがとだえたのを確認したのち、時速約六〇キロメートルに加速したうえ、同女を追いかけ道路左側を通行していた同女の後方からそのままの速度で自車左前部をその腰部付近に接触させて同女を路上に転倒させ、いつたんはそのまま走り去つたものの、同所から約四〇〇メートル進行したところで、転倒した同女の様子をみるため、自車を反転させてひき返し、折から同所を通りかかつた加藤伊三郎、進の両名に対し「ひき逃げらしいから、病院に連れていくので手伝つてくれ」などと申し向け、同人らに手伝わせて意識不明となつた同女を自車助手席に乗せ、ふたたび自車を運転して病院に向けて進行中、同女が意識を回復し起きあがつて被告人の顔を凝視したのを認めて病院に行くのを断念し、同女を人通りのない場所に置き去りにするためさらに進行をつづけ、多摩水道橋付近にいたつた際、にわかに劣情を催し同女を強いて姦淫しようと決意し、同女が住所を告げて家に連れて帰つてくれと数回にわたり弱々しい声で哀願するのをかまわず「うるさい。だまれ。」と怒号しつつ進行し、翌二七日午前〇時すぎごろ、東京都北多摩郡狛江町和泉二、六一八番地先道路上にいたり、犯行後いち早く逃げ出せるように自車を反転させて停車したうえ、同車内において、なおも同女が「家に帰してくれ。」と何度も哀願するのをかまわず、左手で同女の着用するワンピースの背中のチヤツクをさげるとともに両手でこれを下までひきさいて前の方にはぎとろうとしたところ、同女が「嫌だ嫌だ」と言いながら両手で押えて抵抗するや同車内にあつた布きれをその首に巻きつけて締めつけてその抵抗を排除した上同女のワンピースをはぎとり、さらに同女の着用していたシミーズをその腹の辺までまくりあげ、そのパンテイを足首辺までひきさげたうえ、右手の示指と中指を痛がつて嫌がる同女の陰部に突つ込んで弄んだあげく、シミーズをひきさいてとりはずし、ブラジアーもはずして乳房をさわつたのち、右座席上に同女を横だおしにしてそのうえに乗りかかり強いて姦淫しようとしたが、その付近に通行人の姿を認めたため発覚をおそれその目的を遂げなかつたが、その際右の暴行により同女に対し治療約一週間を要する処女膜裂傷の傷害を負わせた。

そこで、被告人は直ちに自己が着用していた背広を脱いでこれを全裸の同女のうえにかぶせ、外部から不審をもたれないようにしたうえ、自車を発進させひき返したものの、同女が被告人の顔を見知つてしまつたことを想起し、右犯行の発覚を虞れ、一層のこと同女を殺害してその露見を妨ごうと決意し、自車を同町和泉二、七六二番地東京都水道局西部建設事務所狛江材料置場前付近に乗り入れ、その周辺に人影がなくなるのを確認したうえ、助手席ドアの鍵を開けたのち、下車して自車の後方をまわり、右助手席のドアを開け、左足を助手席のなかに一歩踏みこみ、左手で同女の足元に落ちていた前記シミーズをとりあげ、これを両手にもちかえて五・六回ねじつたうえ、これを弱り果てた同女の首にかけ、同女が両手でこれをはねよけようとしながら弱々しく「家に帰してくれ」と哀願するのをかまわず、同女の左横から両手を交差させて右シミーズをもちかえ、その両端をにぎつて同女の頸部をつよく締めあげ、苦しさのあまり暴れて背中辺から車外にずり落ちた同女を左膝でその左脇腹を押えながらなおもその頸部を力を加えて締めつけ、さらに暴れてうつぶせになつた同女が大きくひとつ息をつくや、左膝でその背部を押えながら右シミーズでつよく締めつけたうえ、ついにぐつたりとなつた全裸の同女をその首にかけたシミーズでひきずりながら約一〇メートル先の同置場内にある水道用鉄管内にひつぱり込み、同所でさらに交差されたシミーズで同女の頸部をつよく締めあげてとどめをさし、よつてその場で同女を窒息により死亡するにいたらしめて殺害の目的を遂げたものである。なお、被告人は少年法にいう少年である。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

宇津井偉子に対する傷害(判示(一))  刑法二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号(懲役刑選択)

窃盗(判示(二))           刑法二三五条

現住建造物放火(右同)         同法一〇八条(有期懲役刑選択)

粟原繁子に対する強姦致傷(判示(三)) 同法一八一条、一七七条前段一七九条(有期懲役刑選択)

同女に対する殺人(右同)併合罪の処理  同法一九九条(死刑選択)同法四五条前段、四六条一項本文

訴訟費用の負担(免除)         刑事訴訟法一八一条一項但書

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、被告人が本件各犯行当時生来の病的な性格異常に加え、勤務先における仕事上の不満と長く交際をつづけた岡田早苗から絶交されて離別を余儀なくされ、その淋しさやいらだちから正常な意思決定をする能力が減弱した心神耗弱の状態にあつた旨主張するが、前記各証拠および鑑定人本沢実作成の鑑定書ならびに同人の当公判廷における供述を総合すると、被告人は当時生来的な自己顕示、爆発、意思薄弱型の精神病質者であり、長く交際をつづけた早苗から絶交され離別を余儀なくされたため、そのうつ憤晴らしのため本件犯行に及んだことは認められるが、さらにすゝんで事の是非善悪を弁識し、これにしたがつて行動する能力が著しく減弱していたとは到底認めることはできないから、弁護人の右主張は採用できない。

(量刑について)

本件のうち、判示(一)、(三)の各犯行は被告人が、深夜たまたま勤務先から帰宅のため歩行中の若い女性等に対し自車を接触させ、うち一人には加療三週間余の傷害を与え、他の女性に対してはこれを強姦しようとして傷害を負わせたうえ、殺害した事案であり、動機は、久しく肉体関係をつづけ、婚約をとりかわした女性から愛想をつかされて絶交され、そのうつ憤を晴らすためになされたものであり、しかもその女性が被告人の将来に見切りをつけたのは被告人が傷害事件をひきおこし少年鑑別所に収容されたとゆう被告人自身の非行に起因していることを考えあわせるとその犯行の動機は全く被告人の自己中心的で他を顧みない性情のあらわれであり同情の余地なきものといわざるをえない。また、犯行の態様は、いずれも被害者に自車を接触転倒させたのち、ふたたびその現場にひき返し、ひき逃げ事件の目撃者のように装つて行動し、判示(一)の被害者はその自宅まで送り届けて両親からの感謝を受け、平然と警察官の実況見分に立ち会うなどその犯行は大胆不敵というほかなく、また判示(三)の犯行にいたつては転倒させたため肝臟亀裂頭部挫傷などの致命傷を受けて苦しむ被害者から「家に帰してくれ」と哀願されても「うるさい。だまれ。」と怒号し、精一杯の抵抗をする被害者の着衣をひきさいてはぎとり、全裸にして同女を弄びその欲情を遂げようと図り、これに失敗するや、判示のように終始冷静に被害者の反応を見ながら、はぎとつた被害者のシミーズをよじつてその首を何回となく絞めあげたうえ、ついにぐつたりとなつた全裸のままの被害者を約一〇メートル路上をひきずつて鉄管内に押し込み、さらに約一分間にわたり首を締め、冷酷非情にも被害者の脈をとつて死亡を確認したのちはじめて手をはなし、同所を立ち去るにあたりつまづいた石を拾つて鉄管内の死体に向つて投げつけるなどの仕打ちに及んだのであつて、その犯行は執拗きわまりなく、言語に絶する残酷非道な所業といわざるをえない。そして、判示(一)(三)の被害者らはいずれも何等の過失もなく、たまたま現場を通りかかつた歩行者にすぎず、特に判示(三)の被害者にいたつては、幼くして実母と生別し、長年実父との二人暮しを余儀なくされ、しかもその父が調理師として遠隔の地で稼働しているため、ほとんど独力で昼間働らきながら定時制高校を卒業し、英文タイピストとして大日本塗料株式会社で働らいていた当年二一才の未婚女性であつて、しんの強い真面目な性格で、異性関係もなく、同僚先輩間の評判もよく、将来は結婚して実父と共に生活を送ることを夢みていた矢先、非業の死を遂げたものであり、とくにこの被害者が判示のように女性としてこのうえなき屈辱と恐怖に身を震わせながら最後まで苦しみもだえて絶命した悲惨な姿を想うとき、その無念きわまりなき心情にはまことに同情を禁じ得ないものがあり、また一人娘にその将来の生活の夢を託してきた実父の深い悲しみも想像に絶するものがある。しかのみならず、被告人には本件のほかにも自動車で若い女性を追いまわした同種事案があり、これら三回にわたる若い女性に対するあて逃げ行為と本件殺人事件が当該地域の若い女性やその保護者らに与えた衝撃は極めて大きく、深刻な社会不安をもたらしたものであり、その社会的責任は重大であるといわなければならない。これに加うるに、判示(二)の犯行も、被告人があらかじめ用意したドライバーを使つて空巣盗に入り、家中を物色したのち、犯跡を隠すため、躊躇することなく火を放ち、ために被害者が苦労してようやく買い求めた新居を全焼させた事案であり、その結果が重大であることはいうまでもなく、これまた被告人の自己中心的で他人を犠牲にすることを全く意に介しない性格に由来するものと謂はざるを得ないのであつて、その責任はきびしく追及さるべきものである。もつとも、本件各犯行当時、被告人は満一九才に達して間もない少年であつたことが明らかであるが、その幼少時には教護院に於ける教育を受け、長じては家庭裁判所の保護処分による保護育成を受けるなどして公の機関による更生のための努力が払はれて来たものであり、その知能程度は普通(知能指数92)であるうえ、身体の発育程度はむしろ優秀であつて、社会生活上においても、また対女性関係においてもすでに成人と同程度に成熟していたことが窺われるばかりでなく、少年に対する刑事責任もそれがひとつの「社会的」非難である以上、いたずらに社会の法感情を無視することは許されず、事案によつては峻厳な態度をもつて臨む必要があるものと考えられるのであつて、右にみたように残酷非道で社会的影響の大きな本件事案の重大性に思いを致すとき、犯行時一九才の少年であつたことをもつてとくに酌量すべき事由となすことはできない。一方、被告人がいまだ若年であり、しかも幼時家計が苦しく母が病弱であつたため、父母から十分な監督を受けられず、また転校による環境の変化に対応しきれなかつたことなどが被告人の性格形成に悪影響を与えた一面があることや、早苗との交際についても周囲の適切な助言と指導にやや欠けていたことが窺われること、判示(三)の示談が成立していることなどの情状にあわせて、本件各犯行の罪質、動機、態様、被害の結果、犯行後の状況、社会的影響、被告人の非行前歴、性格、生活歴その他本件に顕われた一切の事情を総合すると、右のように被告人のため斟酌すべき諸点を考慮に入れても、なお遺憾ながら被告人に対しては極刑をもつて臨まざるを得ないものと考える。

(裁判官 樋口和博 水沢武人 伊藤博)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例